社会正義や、教育の本質について語り合い、共有しようとする営みがいま必要とされていると思います。そのような営みがなされるならば、それぞれの人が「自分の魂」を世話することにも、「社会」を世話することにも、つながっていくはすです。
この会では、そういう語り合いを積み重ねてきました。このサイトでは、これまで語り合ってきたことをこのメンバーであらためて確認するだけでなく、さらに発展させていこうと思っています。読者の方からのご意見・ご批判をいただければうれしく思います。
生徒に「民主政治を担う力」を育てる、それが教師になる自分の原点でした。教育活動を行う中で「哲学する」ことに出会い、生徒にとって「知る」ということの意味を改めて考えるようになりました。そして今、「学ぶ」ことが価値(よさ)を見出し、生み出し、共有する営みになる教育の大切さを考えています。
教育についてはずっと思考を重ねてきましたが、若い頃と今とではその捉え方が異なってきているような気がします。自分自身さまざまな喪失感を味わうなかで、「他者とともに生きる」「命のバトンタッチ」など、教育現場で語られる言葉の意味の切実さを実感できるようになりました。日々の生活の中で対面する多様な問題を解決していく経験を、教育に位置づけていくことの大切さとともに。
そんな自分自身の今の立ち位置から、「教育の本質」について、少しずつ上手に考えられるようになっていけたらいいなあと思っております。
(滝沢 利直)
自分の中にない、スキルや考え方を身につけ、社会や国の中で生きていく力をつけるこ
この両方を一緒に実現するのが「教育」であり「学び」が目指していることだと考えて
さまざまな教育・学びの具体的事例と先人の理論を通じて、本当にそうなのか、そうで
人が喜びをもって生を営んでいける一般条件を模索する普遍的な視線。
「それがよい」と分かっていても「そうはできない」個別的(実存的)状況を見とろうとする視線。教育をめぐる考察には、この二つの視線が欠かせないということを、ここでの話し合いから実感させられています。
このページを、希望をともに創造しあう場所として展開していければ……と思っています。
(管理人:犬端 渉)
教哲研’s Room